コラム

2023/01/19

事業承継における民事信託の活用事例:個人事業主の場合

 事業承継に民事信託を活用すると、後継者としての適格性を見極めながら経営権を徐々に移転できるなど、柔軟な対応が可能です。

 民事信託のスキームは個人事業主の事業承継にも活用できます。今回はとある歯科クリニックの事例をもとに、個人事業主の事業承継に民事信託を活用する方法をご紹介します。

ご相談の概要

  • X氏(現院長、69歳。歯科クリニックを経営)
  • 長男(歯学部卒、民間の歯科医院で常勤の勤務医)
  • 長女(歯学部卒、民間の歯科クリニックでパートの勤務医)

 X氏は歯科クリニックを経営しておられましたが、高齢になってきたためそろそろ長男か長女にクリニックを継いでほしいと考えていました。

 長男には以前から引継ぎを打診しており、本人からも承諾を得ている状況でした。

 ただ、X氏の歯科クリニックは医療法人化していなかったこともあり、個人事業をどのように引き継げばよいのか悩んでおりました。

 また、X氏は、長男が今まで勤務歯科医の経験しかなく病院の経営をしたことがなかったため、いきなり長男に病院を譲って院長の座を明け渡してよいものか、という迷いも持たれている状況でした。

個人事業主の民事信託

 X氏は、上述のとおり、いきなり長男に経営権を譲ってしまうことに不安を抱いていましたので、いったん様子見ができる民事信託のスキームを活用することが考えられます。

 ただ、X氏のクリニックは法人ではなく、個人事業であるため、民事信託を活用する場合、「信託財産を何に設定すべきか」が課題となります。

 信託財産とは、委託者が受託者に預けるべき財産です。株式会社であれば株式を預ければ会社を包括的に委ねることができますが、個人事業主の場合には個人が個々の財産を所有している状態なので、「株式」委託による包括的な委託はできません。

事業そのものを信託財産とする

 事業者が民事信託を行う場合「事業そのもの」を信託財産にできます。

 X氏のような医療クリニックであっても事業には変わりないので、本件でも「事業(カルテや医療機器など)」を信託財産とする民事信託の活用を検討することとなりました。

長男が不適任な場合の対応について

 X氏は、「長男は勤務歯科医の経験しかないので経営者として適任かわからない」という不安を抱いておられましたが、このような場合、信託契約に「期間」をもうける方法が有効です。

 2年などの期間を設定しておいて、期間が経過したときに後継者が問題なく経営を続けていけそうであれば、そのまま事業を後継者に譲って事業承継を完了するのです。

 一方、ご長男による経営中に問題が起こるなどして「向いていない事情」が明らかになれば、事業承継の本契約をせずに現院長のもとへ経営権を戻します。

 現院長に経営権が戻れば、民間の歯科クリニックで勤務歯科医となっている長女に承継を打診したり、別の医院とM&Aを行ったりなど異なる方法での事業承継を進めることができます。

信託契約中に前経営者が体調を崩した場合の対応

 現経営者が高齢の場合、信託契約の期間中に体調を崩してしまう可能性があります。

 X氏もすでに69歳であり、日々のストレスや肉体的疲労を感じている状況で、2年間確実に健康に過ごせるか保障されない状態でした。

 信託契約の期間中に現院長が認知症にかかったり死亡したりしてしまった場合には、信託財産の「帰属権利者」を長男としておけば、長男に事業に関する権利を移転できます。

 帰属権利者とは、信託契約の終了後に信託財産を得る人です。

 民事信託を活用すると、現経営者に万が一のことが起こっても事業が頓挫してしまう危険を避けることができます。

本件で活用することが考えられる民事信託のスキーム

  • 委託者…X氏(現院長)
  • 受託者…現院長及び長男
  • 受益者…現院長
  • 信託財産…事業(カルテや歯科器具等)
  • 信託期間…2年

個人事業の事業承継における「受託者」の特殊性

 本件における「受託者」は「現院長と長男」の2名です。

 個人経営のクリニックの場合、開業届や許認可の関係があり、受託者を次期後継者のみとすると全ての名義を変更する必要があり煩雑な手続きを要します。

 現院長も共同で受託者とすれば、名義変更が不要となって手続きを簡略化できるので、上記のように設定しました。

弁護士 小西 憲太郎

所属
大阪弁護士会
刑事弁護委員会
一般社団法人MACA信託研究会 代表理事
一般社団法人財産管理アシストセンター 代表理事
一般社団法人スモールM&A協会 理事

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